2008年5月14日水曜日

004:おやのけふくんをば、

一、おやのけふくん(親の教訓)をば、かりそめなりともたがへ(違へ)給ふべからず。いかなる人のおや(親)にてもあれ、わが子わろかれ(悪かれ)とおもふ(思ふ)人やあるべきなれども、これをもちいる(用いる)人の子はまれなり。心を返し、目をふさぎて、能々(よくよく)あんずべし。わろからん(悪からん)子を見て、なげかん親の心は、いかばかりかこゝろうかる(心憂かる)べき。されば不孝の子とも申すべし。よき子を見て、喜ばん親の心は、いかばかりかうれしかるべき。されば孝の子とも申すべし。たとひ、ひが事をの給ふ(宣給ふ)とも、としよりたらんおや(親)の、物をのたまはん時は、能々(よくよく)心をしづめてきゝ給ふべし。とし老衰へぬれば、ちご(稚児)に二たびなると申事の候也。かみ(髪)には雪をいたゞき、額にはなみを寄せ、腰にはあづさの弓をはり、鏡のかげにいにしへのすがたにかはり、あらぬ人かとうたがふ(疑ふ)。たまさかにとひくる(問ひ来る)人は、すさみてのみかへる(帰る)。げにもととぶらふ(訪ふ)人はなし。心さへいにしへにかはりて、きゝし事もおぼえず、見る事もわすれ、よろこぶべき事はうらみ、うらむべき事をば喜ぶ。みなこれ老たる人のならひ也。これを能々(よくよく)心えて、老たる親ののたまはん事をば、あはれみ(憐み)の心をさきとして、そむき給ふべからず。すぎぬるかた(過ぬる方)は久しく、行すへ(行末)はちかく侍ることなれば、いまいくほどかの給ふべきとおもひて、いかにもしたがい給ふべし。されば老ては思ひわたる(*思い知る)事もあるべし。それ人にたいしての事ならば、申なだめ給はんに何たがふ事かあらん。身にたいしての事ならば、とにもかくもおほせにしたがひ給ふべし。あはれ名ごり(名残)になりなん後は、こうくわい(後悔)のみして、したがふ(従ふ)べかりし物をとおもひたまはん(思ひ給はん)事おほかる(多かる)べし。

極楽寺殿御消息 北条重時

0 件のコメント: