2008年7月14日月曜日

065:何事にても勝負にまけたらん時は、

一、何事にても勝負にまけ(負け)たらん時は、いそぎ(急ぎ)ふるまう(振舞)べし。我かち(勝ち)たらん時は、せむ(責む)べからず。ゆめ/\勝負の事を申いだす事なかれ。

極楽寺殿御消息 北条重時

064:人を見るに、

一、人を見るに、こと/''\くよき(善き)ものはなし。一もよき(善き)事あらば、それまでとおもひて、人をえらぶ(選ぶ)事なかれ。我が心だにもよき(善き)とおもふ時もあり、わろき(悪き)とおもふ時もあり。いかでさのみ人は心にあふ(合う)べき。しんるい(親類)、子ども、めしつかふ(召使)ものなりとも、さのみけうくん(教訓 *しつこい小言を)し給ふべからず。うらみ(怨み)あれば我をすて(捨て)、ほか(他)にてあしからん(悪しからん)は、聖人のはう(法)にあらず。

極楽寺殿御消息 北条重時

現代語意訳
一、人間を評価しようとしても、完璧なやつなんていない。一つでも長所があれば、それでいいと思って、えり好みしないことだ。自分の気分によって、同じ人を善いと思ったり、悪いと思ったりしてしまうものだし。いつでも自分の心に叶う人なんかいるもんじゃないよ。親類や子供、召使などに、あまり小言ばかりするもんじゃない。そいつが逆恨みして出奔して、他の奉公先でも悪いことをしたらどうする? 善悪をやかましく言うことが、必ずしも聖人の教えに適うとは限らんぞ。

063:いかなる大善根をするとも、

一、いかなる大善根をするとも、我はよくしたりと思ひ、又人にをとらじ(劣らじ)とおもふ心候はゞ、てんま(天魔)のけんぞく(眷属)となりて、罪はかさなる(重なる)とも、ちり(塵)ほどもりやく(利益)あるべからず。ごう(業)をかさぬる(重ぬる)なるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

062:堂塔をたて、

一、堂塔をたて、おや(親)、おうぢ(祖父)の仏事をしたまはん時、一紙半銭の事にても、ひとのわづらい(煩)を申させ給ふべからず。千貫二千貫にてもし給へ、一紙半銭も人のわづらひ(煩)に候はゞ、善根みなほむら(炎)となり、人をとぶらはゞ、いよ/\地獄におち、又我が逆修(ぎゃくじゅ *生前に予め自分の冥福を願って法要を行うこと)などにも、今生より苦あるべし。たゞ我がいぶん(涯分 *身の程)にしたがはん程の事を、善根をばし給ふべし。よのつね(世の常)のことにもすこしもたがふ(違ふ)ひが事(僻事)は、佛神にくみ給ふ事也。まして、さやうの佛法の事にひが事(僻事)は口惜(くちおしき)事なり。ゆ(湯)をわかして水に入たるがごとし( *アベコベをやっているようなものだ)。たとひ兄弟となどが、我はおや(親)の仏事をするに、せずともわづらはじやなどおもはるゝやうにきゝ(聞き)、しれ(痴れ)事(痴れ)うらみごと(恨み事)申べからず。きげん(機嫌)よきところに、あはれ/\うたてしきかな、過分までこそなくとも、かたのごとく心ざしし給へかしと、おり/\(折々)けうくん(教訓)申て、我は身をすてゝ(捨てて)すべし。されば人もげにもとおもふなり。ふるきことばにも、善人の敵とはなるとも、悪人をともとする事なかれと申事これ也。ちやう者のまんとうよりもひん者の一とう(「長者の万燈よりも貧者の一燈」)と申事をしるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

061:所領をもたずして代官をねがふとも、

一、所領をもたずして代官を願ふとも、代官をもたずして所領をねがふべからず。又代官は一人なるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

060:人のもとへ、

一、人のもと(許)へ、状などまいらせん時は、かみ(紙)、すみ(墨)、筆をとゝのへて、よくかく(書く)人にかゝすべし。手よくとても、おさなき(幼き)人の文字もとゝのほらぬをば斟酌すべし。又悪筆などにて申は、びろふ(尾籠 *ばかげた,愚かな)の事也。又じ(自)筆はこのほどゆづり(譲り *譲り状)などももちゐらるゝ(用らるる)事なれば、披露あるまじき事などを申されんは、せめていかゞあるべき。其(それ)さえかな(仮名)とまな(真名 *漢字)と字のをきどころ(置所)をもしらざらんは、しんしやく(斟酌)あるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

059:旅などにて、

一、旅などにて、夫(*人夫)、馬などに、をもく(重く)物もたす(持たす)べからず。たゞあよむ(歩む)にも、苦いかばかりかなしかるべき。又それにつきて病などする事あるべし。其時[人]をつるゝ(連る)とも、荷などをもちて、さのみかなしみのなき人をつるゝべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年7月12日土曜日

058:すこしのとがとてをかすべからず。

一、すこしのとが(科)とてをかす(犯す)べからず。わが身をすこしなりとも、きり(切り)もつき(突き)もして見るに、苦なき事あるべからず。女などのたとへ(喩)に、身をつみて( *つねって)人のいたさ(痛さ)をしる(知る)と申。ほんせつ(本説 *根拠)ある事也。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年7月4日金曜日

057:子なきものゝ罪のふかきは、

一、子なきものゝ罪のふかきは、後生をとぶらはざる(弔はざる)事はさてをきぬ、としごろ(年頃)のすぐる(過る)まで、浮世にまじはる(交る)事のかなしさよと申候人のありし也。子なくしてゆづる(譲る)かたなしとて、かぎり(限り)ある死期をのぶ(延ぶ)べきか。もつところの財宝佛神にきしん(寄進)するとも、又人にたてまつるとも、あまる事ありがたし。かしこき(賢き)かほ(顔)にするとも、ゑんま(閻魔)の使のがれぬかぎりあるべし。とし(歳)すぎて後世をねがひたまはぬ人をば、神佛にくみ給ふなり。

極楽寺殿御消息 北条重時

現代語意訳
一、「子供がいない者の罪(前世の悪業)の深さと言えば、後生を弔ってくれるものが居ないことはさておき、跡取りがいないといつまでも隠居できずに、世間に立ち交わって働かないといけないのがつらいよ」と言った人がいる。子供がいなくて家を譲ろうにも譲れない、と言っても(家督を手放さなければその分)寿命が延びるわけじゃないだろ。自分には持っている財産を神様ホトケサマに寄進したり、他人に分け与えたりするほどの余裕はないよ、とわけ知り顔をしたって、閻魔の使いからは逃れられないぞ。歳老いても、来世の幸福を願わない(財産への執着を捨てない)人は、神様ホトケサマにも憎まれるよ。