2008年5月30日金曜日

048:経文には、

一、経文には、女は佛になりがたきととかれたれども、八歳の竜女をはじめとして、女佛になり給ふ事、そのかず(数)をしらず。ことに女人は心ふかき性あるによて(*よって)、一ぺん(一遍)に念佛し、後生をねがひ給候はゞ、極楽往生うたがひあるべからず。

極楽寺殿御消息 北条重時

047:仏法をあがめ、

一、仏法をあがめ、心を正直にもつ人は、今生もすなを(素直)に、後生も極楽にまいり、親のよきには、子も天下にめしいださるゝ事おほし。我が力にあらず。神佛の加護し給ふゆへなり。何事も弓箭をはじめて、上として名をあらはし、徳をしかせ給ふ事、定法正直にすぎてはなし。親のなきを子は、其身の心ならで人にしられ、諸人はうしん(芳心)のぎ(儀)あり。されば子孫はんじやう(繁昌)何事かこれにしかん。佛法盛なれば万法さか・(ん)なり。すゑ(末)の世に仏法を本とせん人、子孫つぎ(継)にやなるべしと申候事あるべし。佛神をわろかれと思給ふべからず、天魔人をよかれとおもふべからず。しかれば、善事悪事につきて子孫繁昌たえぬべし。ふるきこと葉(言葉)にも寸善尺魔と申事あり。能々心得て物にさまたげられ給ふべからず。

極楽寺殿御消息 北条重時

046:人のむねのうちには、

一、人のむねのうちには、蓮華候にて、其上に佛をはします。あした(朝)には、手かほ(顔)をあらい(洗い)み(身)をきよめ(清め)、かの佛をねんじ(念じ)申べし。しやうじん(精進)の物をくわざる(食わざる)さきに魚鳥をくう(食う)べからず。返々あさましき事なり。その上魚とり(鳥)は父母、親子のしゝむらなりと申。あながちこれらをこのみ給ふべからず。ことに六さい(斎)日十さい(斎)日には、もろ/\の諸天あまくだり給いて、罪の善悪をしらさるゝ日なれば、とき(斎)も精進けつさい(潔斎)して、神佛にみやづかふべし。出家はいつもをこたりなし。かやうの日は在家のためにやとおもひ給ふべし。月に六日十日はわうじやく(尫弱 *軟弱)の事也。

極楽寺殿御消息 北条重時

045:つみをつくり給ふまじき事、

一、つみ(罪)をつくり給ふまじき事、たとへにも、一寸のむしには五分のたましゐ(魂)とて、あやしの虫けらもいのち(命)をばおしむ(惜む)事我にたがふ(違ふ)べからず。たとひ貴命などにて、鵜鷹のかり(狩)、すなどり(漁)をするとも、返々悪業をはなれ佛のにくまれをかふむり候はぬやうに心え(心得)給ふべし。又その事こそあらめ、人のわづらい、なげきをおい給ふ・[べ]からず。なげきと申は、つくり物などをすこしもそん(損)さし給ふべからず。子孫にむくう。今生にもそれほどのくるしみあり。後生にてもつみ(罪)なるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

044:人のとしによりてふるまふべき次第、

一、人のとし(歳)によりてふるまふべき次第、廿(二十)ばかりまでは、何事も人のするほどのげいのう(芸能)をたしなむべし。三十より、四十・五十までは、君をまぼり(守り)、たみをはごくみ(民を育み)、身を納(修め)、ことわりを心得て、じんぎ(仁義)をたゞしくして、内には五戒をたもち、せいたう(政道)をむねとすべし。せいたう(政道)は、天下をおさむる人も、又婦夫あらん人も、ぎ(義)のたゞしからんはかはるべからず。さて、六十にならば、何事もうちすてゝ、一ぺん(一遍)に後生一大事をねがふて、念仏すべし。其としにいたりては、子がうせ、子孫をたやすとも、うき世に心をかへさず、それいよ/\道のすゝめとして、我は此(この)世になき物とおもひきり給ふべし。親をおもひ子を思ふとて、無常の風にひとたびさそわれし人、又やこの世にかへりけん。おそろしき哉や、地獄のくるしみ、今生の夢みる程の事だにもつきず。まして地獄におちて大苦悩をうけて、なんこう(何劫)と申事もなく、かなしからんは、いかばかりぞ。たくはえ(貯え)も後生のためにはありがたし。

極楽寺殿御消息 北条重時

043:何事もよきことのある時は、

一、何事もよきことのある時は、又あしき事あるべしとおもひて(思て)、こんずる(困ずる)さきをなさげき、あしき(悪き)事のあらん時は、又よき事あるべしと思て、心をなぐさめ給ふべし。うまるゝ悦(よろこび)あれば、必しする(死する)なげきあり。さればさいおう(塞翁)といゝし人は、此心をよくしりて、善悪をおもふてはてぬ。けんじん(賢人)也。後生もうたがいなし。

極楽寺殿御消息 北条重時

042:心得たる事にて候へ、

一、心得たる事にて候へ、おとなしき人にとはる(問はる)べし。ふるき(古き)こと葉(言葉)にも、知りてとふ(問ふ)を礼とすと申候事あり。

極楽寺殿御消息 北条重時

041:人の心をもつべく事、

一、人の心をもつべき事、ある人、たゞ人の用を申にいたむことなし。たから(宝)をこはるゝにはいたまず(痛まず)。所領を人のほしがるにとらせたり。其時此事上へきこえて(聞えて)、彼人をめして心を尋らるゝに、先世にて人をこそ申つらめとおもひ候程に、それを返すと心得ていたみなし。ざいほう(財宝)さのごとく、所領とらする事、昔をおもふ(思ふ)にたれ(誰)か親子ならずと申人候。又未来をおもふに、又誰か他人ならん。人は世にかなはずば、妻子とも親類ともいへ・ぼだい(菩提)心ををこさん(起さん)には、その身のためと申ほどに、我がたから(宝)をおしまず(惜まず)と申ければ、賢人なりとて、天下にめしいだされたてまつる事をも心にうれふる(憂ふる)事なし。心をばかやうにむけ給ふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月27日火曜日

040:物をかい候はん時ちちやうを一度に申べし。

一、物をかい(買)候はん時ちちやう(値打)を一度に申べし。たかくば(高くば)かう(買)べからず。さのみこと葉をつくすは(*しつこく値切るのは)いやしき事なり。あき(商)人はそれにて身をすぐれば(過ぐれば)、やすく(安く)かう(買)も罪なるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

039:人にも用を申候へ。

一、人にも用を申候へ。又人の用をもきゝ(聞)候へ。すく/\とあらんずるほどの事をの(宣)給ふべし。まづかやうにいひて(言て)、又後にかやうに申べきなどの事はあるべからず。あき人(商人)などのあきなひするこそ、さ様に心はもち候へ。それさへ人によりて申也。心を見ゑ候事なるべし。又人より物を給(タマワ)り、やく(役)など承(ウケタマワリ)候こと候はゞ、おほせ(仰)にしたがうとも、しんしやく(斟酌)あるべし。それも事によりてき(気)をも心をももち給ふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

038:人のをしへけふくんの事につき給ふべし。

一、人のをしへ(教)けふくん(教訓)の事につき給ふべし。さる(猿)と申(まうす)けだ物(獣)だにも、人のおしへ(教)につく(*従う)と見へたり。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月23日金曜日

037:我がためのよき人には能々あたり、

一、我がためのよき人には能々あたり、わろき(悪き)人にはわろく(悪く)あたる(*接する)は、返々くちおしき(口惜しき)ことにて候。ちくしやう(畜生)いぬ(犬)などこそ、よくあたる人には尾をふりよろこび、又わろくあたる人にはにげ(逃)ほえ(吠)などし候へ。人となりぬるかひには(*人間に生まれたのであれば)、よき人には申におよばず、あしき人にもよくあたり候へば、わろき人もおもひ(思ひ)なをる(直る)にて候。もしそのまゝなれども、神佛のいとおしみ給ふ事也。見きく(聞く)人これをほむる(褒むる)なり。今生にわろくあたれば、又後生に人にわろくあたられ、すへ(末)の因果つく(尽く)べからず。今度因果をはたし(果し)とゞむるやうに、わろき人にもよくあたり給ふべし。人のよくば我が先世(センセ *前世)を悦び、人のわろくば又先世をうらみ給ふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

036:人の用をおほせられん時は、

一、人(*目上の人)の用をおほせられん時は、よう(用)をおほせ候ことのうれしさよとおもひて、やがて(*すぐに)借(カシ *用立てて)給ふべし。候はずば(*用立て出来ないならば)、さい/\(再々)とせいもん(声問)にて(*便りを出して)、なき由(ヨシ)を申さるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

035:我は身をさりても、

一、我は身をさりても(*自分のことはさておいても)、人の用をきくべし。事かけ(欠け)ざらん事(*なくてもさほどに困らないこと)に人に用をいふべからず。内外なからん人(*親しい仲の人)にも、心をかぬ躰(テイ)にて(*さりげなく)しんしやく(斟酌)あるべし。あまりにこと/"\しくその色(*気遣っている様子)を見すれば、人用をいはず(*相手がかえって遠慮してしまう)。されば人あひなき事也(*人間関係が疎遠になる)。よく/\心得給ふべし。大なる用を人のをばきゝ(聞き)、われは少用をいふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月21日水曜日

034:わが用にもたゝぬ物のいのちをいたづらにころす事あるべからず。

一、わが用にもたゝぬ物のいのち(命)をいたづらにころす(殺す)事あるべからず。生ある物を見ては、事にふれてあわれみ(*悲)を思ひ給ふべし。いやしきむし(虫)けらなれども、命をおしむ(惜しむ)事人にかわらぬ也。身にかへても物のいのちをたすけ(助け)給ふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

033:いやしき人なりとも、

一、いやしき人なりとも、道のはた(傍)にあまた(数多)あらん時は、あんない(案内)をいふ(言ふ)べし。少もそん(損)なき事也。いやしき物にちんじ(椿事)をいたす事、殊口おしき事也。

極楽寺殿御消息 北条重時

032:きばうちの事、

一、きばうち(騎馬打)の事、大かた半町つねの人うつ(打)也。但(ただし)、事によりてふるまふ(振舞)べし。夜道山みち(道)用心の事などあるべし。其時は主人のげち(下知 *命令)を守(まもる)べし。

極楽寺殿御消息 北条重時

031:はうばいとうちつれたる時、

一、はうばい(傍輩)とうちつれたる時、馬うち(打)は人すくなく(少く)ば、五き(騎)が程、おほく(多く)ば三き(騎)がほどをへだつ(隔つ)べし。たゞし事によりてふるまふ(振舞)べし。

極楽寺殿御消息 北条重時

030:人のおやにても、

一、人のおや(親)にても、子にても、おとこ(男)にても、女にても、をくれてなげかん家のちかき(近き)ところにて、きこゆる(聞ゆる)やうにわらふ(笑ふ)事、ゆめ/\あるべからず。なげ(き)わ何事にてもおなじかるべし。ともに嘆(ナゲク)心有べし。

極楽寺殿御消息 北条重時

029:人のもとへゆきたらん時は、

一、人のもとへゆき(行き)たらん時は、家のうちに人のありて、ひま(隙)より見るらんとおもひ給ふべし。さればとても、あやしげにめ(目)をつけて見(みる)べからず。かべ(壁)にみゝ(耳)、天にめ(目)のようじん(用心)也。ゆだん(油断)あるべからず。

極楽寺殿御消息 北条重時

028:みだれあそばん時、

一、みだれあそばん(乱れ遊ばん)時、おとなしき人の、いさみほこれば(勇み誇れば *興に乗り得意げに芸を披露する)とて、ともにくるはん(狂はん)事は能々心得べし。う(鵜)のまね(真似)するからす(烏)のやうなる事にてやあらんずらん。いかにもくるひあそぶ事ありて、酒にえ(酔)ひたりとも、われ(我)よりおとなしき人のあらん所にては、つねに袖をかきあわす(*衣装を整える)べし。何とさはがしくふるまふ(騒がしく振舞)とも、ふみ(踏み)どころはよくよく見給ふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

027:我をうやまふ人のあらん時は、

一、我をうやまふ(敬ふ)人のあらん時は、其人よりも猶(ナヲ)した(下)をうやまふべし。又われをうやまはぬ人なればとて、うやまはざらんもあしき事也。いかにも仁義(じんぎ)は人にかはらぬ(変らぬ)事也。さやうの人をばおん(恩)をもつてあだ(仇)をほうずる(報ずる)だうり(道理)と心得て、なをもうやまふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

026:わが下部と人の下部とさうろんする事あらば、

一、わが下部(しもべ)と人の下部(しもべ)とさうろん(争論)する事あらば、おなじほどのだうり(道理)ならば、我が下部(しもべ)をひが事とさだむ(定む)べし。人の成敗(せいばい)わろからん(悪からん)は、後に人に申あはすべし。当座にていふ事なかれ。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月20日火曜日

025:はらのたゝん時、

一、はらのたゝん時、下部(しもべ *従僕)をかんだう(勘当)すべからず。はらのゐて後(*怒りが収まった後)、すぎし(過し)方の事と、いま(今)のふるまひ(振舞)とを能(ヨク)おもひ出し、そろへて、忠はすくなく、とが(咎)はおほく(多く)ばかんだう(勘当)もあるべし。只はら(腹)の立(タツ)まゝにあらば、後悔(こうくわい)もあるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

024:まゝはゝの事、

一、まゝはゝ(継母)の事、まゝ子(継子)事にをひてふかく(深く)うらみある事、これ又おほき(大)なるあやまり(誤)也。そのゆへは、ちゝ(父)はそふ(添ふ)なり(*父に添ふなり、の誤写か)。父のはからい(計い)としてあるところを、子のみ(身)として、はゝ(母)を何かといひおもはする(言ひ思はする)事は、ちゝ(父)をあざむくにおなじ。されば父をあざむかん事は、その罪のがるべからず。たとひまゝはゝ(継母)ひが事ありといふとも、をんな(女)なるうへは、さだめて(定めて)ゐんがのだうり(因果の道理)もあるべし。おや(親)の心にかなふは、佛神の御心にかなふとひとし(等)。我がはゝ(母)にかはりておもふ(思ふ)べからず。あさましき事也。返々能々心得て、おんびん(穏便)の心あるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月19日月曜日

023:人のうしろ事、

一、人のうしろ事(後言 *陰口)、返々の(宣)給ふべからず。よき事をも、このみて人の事をば(宣)給ふべからず。よき悪きはしらね共、まづうしろのさた(沙汰)ありと聞てば、心もとなくおもふ事也。よき事を申ときゝてば、よろこばれるけども、さなしとても何のくるしみかあらん。

極楽寺殿御消息 北条重時

022:傍輩などの、

一、傍輩(ほうばい)などの、主人よりはなつく(鼻突く *譴責・勘当などを受ける、疎遠にされる)事あらば、わが身のうへの事より嘆き給ふべし。その人のひが事などおほせあらば、よきさまに申べし。当座は御心にたがへ(違へ)共、後は心にくゝ(心憎く *奥ゆかしくおぼしめす事也。

極楽寺殿御消息 北条重時

021:ふるまひも、

一、ふるまひ(振舞)も、家ゐ(家居)も、もちぐそく(持具足)なども、ぶんげん(分限 *身分、身の程)にしたがひて(従ひて)ふるまひ給ふべし。ことにすぎぬれば(事に過ぎぬれば)、人の煩(わずらひ)ある事也。又のちもしとげがたし(後も為遂げ難し)。

極楽寺殿御消息 北条重時

020:ちからなどのつよくてもつべしとおもふとも、

一、ちからなどのつよくてもつべしとおもふとも(力などの強くて持つべしと思ふとも)、大なる太刀・かたな・人目にたつぐそく(具足)もち給ふべからず。人のにくむ事にて候。

極楽寺殿御消息 北条重時

019:馬をば、

一、馬をば、三寸よりうちの馬に乗給ふべし。大きなるもわろし(悪し)。さのみ又ちいさきもけしからず。よきほどのをはからひ(計ひ)給ふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

018:いしやうのもん、

一、いしやうのもん(衣裳の紋)、大きにこのみ給ふべからず。おなじ程の人にさし出、色々しき物き(着)給ふべからず。

極楽寺殿御消息 北条重時

017:扇は、

一、扇は、いかによきを人のたびて(賜て)候とも、百文に三本ほどのをもち給ふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

016:いでたち給ふべき事、

一、いでたち(出立 *装い)給ふべき事、いかなる人にも、さのみきたな(汚)まれず、又いや(賤)しきにもまじはり(交)よき程に出たち給ふべし。見ぐるしき人の中にて返々いみじきいでたちあるべからず。心ある人のわろがるにて候也。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月17日土曜日

015:我こそよみたまはずとも、

一、我こそよみ(読み)またはずとも、経録(きゃうろく *経典・語録)など、文字をも能(ヨク)しり(知り)心得たらん人によみ(読み)だんぜさせ(談ぜさせ)申てちやうもん(聴聞)申さるべし。心は生得(しゃうとく *生まれつきの知恵)すくなけれども、さやう(左様)の事を聴聞せざれば、ちゑ(知恵)なくして心せばき(狭き)也。

極楽寺殿御消息 北条重時

014:いかほども心をば人にまかせて、

一、いかほど(如何程)も心をば人にまかせて、人の教訓(けふくん)につき給ふべし。けふくん(教訓)する程の事は、すべてわろき(悪き)事をば申さぬ物にて候。されば十人の教訓につきぬれば、よき事十有(アリ)。又百人のけうくん(教訓)につきぬれば、よき事百あり。されば孔子(こうし)と申(まうす)尊師も、千人の弟子を持て(もちて)、気(*考え)をとひ(問)給ふとこそ承候へ(うけたまわりそうらへ)。人のけふくん(教訓)につくべき事、たとへをもつて申べし。たゞ我が心を水のごとくにもち給ふべし。ふるき詞(ことば)にも、水の器(うつは)物にしたがふがごとしとこそ申て候へ。ことにらうし(老子)経にくはしく(詳しく)とかれたり。返々人にしたがひ、人の教訓につき給ふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

013:道理の中にひが事あり。

一、道理の中にひが(僻)事あり。又ひが事のうちにだうり(道理)の候。これを能々(よくよく)心得給ふべし。道理の中のひが事と申(まうす)は、いかに我が身のだうり(道理)なればとて、さして我は生涯をうしなふ(失ふ)程の事はなく、人は是によりて、生涯をうしなふべきほどの事を、我が道理のまゝに申(モウス)。これを道理の中のひが事にて候也。又僻事(ひがごと)の中のだうり(道理)と申は、人の命をうしなふべき事をば、千万ひが事なれ共(ども)、それをあらはず(顕す)事なく、人をたすけ(助)給ふべし。是をひが事の中の道理と申也。かやうに心得て、世をも民(たみ)をもたすけ候へば、見る人きく人思ひつく(*思いを寄せる)事にて候。又たすけぬる人の喜はいかばかり候べき。もしよそにも、其人も、悦(ヨロコブ)ことなけれ共(ドモ)、神佛のいとおしみをなし、今生をもまぼり(守り)、後生もたすけ給ふなり。

極楽寺殿御消息 北条重時

012:女房などのたち忍たる所をば、

一、女房などのたち忍(シノビ)たる所をば、返々(カエスガエス)見ずしてとほる(通る)べし。見ぬよしをすべし。ぐ(具)したらんずる下部(シモベ)までも、見るべからずとかたく申(まうし)つくべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

意訳:ご婦人方がひそかに隠れているような場所は、くれぐれも見ないで通ること。見ぬふりをすること。お供の従者にも、見てはダメだときつく申し渡すこと。

011:道をゆかんに、

一、道をゆかん(往かん)に、さるべき人の逢(あい)たらん時は、いまだ(未だ)ちかづかざらん(近付かざらん)先に、打(ウチ)ちがふ(*道の傍らに寄って行き合わないようにする)べし。たとひ(仮令)いやしき(賤しき)人なりとも、みち(道)をうちちがはんに、我も引よけ、道を中にすべし。たゞし便宜(びんぎ)あしくば、所によるべし。殊(コトニ)荷付馬(につけうま)、女房、ちご(児)などにはひきもよけ、おりても(降りても)とおすべし。時によりてなり。疎(をろそか)なるべからず。


極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月16日金曜日

010:御酌をとりては、

一、御酌をとりては、三あし(足)よりてひざをつきまうして、三足のきて(退きて)跪(ひざ)をつきてかしこまるべし。せばき(狭き)座敷、又女房の御前などにては心う(得)べし。

極楽寺殿御消息 北条重時

009:なげしの面に、

一、なげし(長押)の面に、竹くぎ(釘)打べからず。畳のへりふむ(踏む)べからず。さえ(障)の上にたゝず、ゆるり(囲炉裏)のふちこゆ(越ゆ)べからず。万人にも、世にも憚るべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月15日木曜日

008:れうりなどする事あらば、

一、れうり(料理)などする事あらば、人にまいらするより、我におほく(多く)する事なかれ。さればとて、事の他にすくなくするもわろし(悪し)。よき程にあるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

007:人にゐぐみたらん所にては肴菓ていのあらんをば、

一、人にゐぐみ(居組)たらん所(*人が多数寄り添って坐っている所)にては肴菓(さかなくわし)てい(躰)のあらんをば、我もとるやうに振舞(ふるまう)とも、とりはづし(外し)たる様にて、人におほく(多く)とらすべし。又それも人に見ゆるやうにはあるべからず。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月14日水曜日

006:たのしきを見ても、

一、たのしきを見ても、わびしきを見ても、無常の心をくわんず(観ず)べし。それについて因果(いんぐわ)の理(ことはり)を思ふべし。生死無常(しやうじむじやう)を観ずべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

005:人にたちまじらはんに、

一、人にたちまじらはんに(立ち交らはんに *交際する時には)、おとなしき人(大人しき人 *年長の分別ある人)をば親とおもふべし。若からんをばをとゝ(弟)と思ふべし。又いとけなからん(幼からん)をば子と思ふべし。いかにもうやまふ(敬ふ)べし。又われよりわかくおさあひ(若く幼ひ)を、をとゝ子と思へばとて無礼なるべからず。とが(咎)をばうしゆん(忘悛?)して、いとをしめと申心成(申す心なり)。

極楽寺殿御消息 北条重時

004:おやのけふくんをば、

一、おやのけふくん(親の教訓)をば、かりそめなりともたがへ(違へ)給ふべからず。いかなる人のおや(親)にてもあれ、わが子わろかれ(悪かれ)とおもふ(思ふ)人やあるべきなれども、これをもちいる(用いる)人の子はまれなり。心を返し、目をふさぎて、能々(よくよく)あんずべし。わろからん(悪からん)子を見て、なげかん親の心は、いかばかりかこゝろうかる(心憂かる)べき。されば不孝の子とも申すべし。よき子を見て、喜ばん親の心は、いかばかりかうれしかるべき。されば孝の子とも申すべし。たとひ、ひが事をの給ふ(宣給ふ)とも、としよりたらんおや(親)の、物をのたまはん時は、能々(よくよく)心をしづめてきゝ給ふべし。とし老衰へぬれば、ちご(稚児)に二たびなると申事の候也。かみ(髪)には雪をいたゞき、額にはなみを寄せ、腰にはあづさの弓をはり、鏡のかげにいにしへのすがたにかはり、あらぬ人かとうたがふ(疑ふ)。たまさかにとひくる(問ひ来る)人は、すさみてのみかへる(帰る)。げにもととぶらふ(訪ふ)人はなし。心さへいにしへにかはりて、きゝし事もおぼえず、見る事もわすれ、よろこぶべき事はうらみ、うらむべき事をば喜ぶ。みなこれ老たる人のならひ也。これを能々(よくよく)心えて、老たる親ののたまはん事をば、あはれみ(憐み)の心をさきとして、そむき給ふべからず。すぎぬるかた(過ぬる方)は久しく、行すへ(行末)はちかく侍ることなれば、いまいくほどかの給ふべきとおもひて、いかにもしたがい給ふべし。されば老ては思ひわたる(*思い知る)事もあるべし。それ人にたいしての事ならば、申なだめ給はんに何たがふ事かあらん。身にたいしての事ならば、とにもかくもおほせにしたがひ給ふべし。あはれ名ごり(名残)になりなん後は、こうくわい(後悔)のみして、したがふ(従ふ)べかりし物をとおもひたまはん(思ひ給はん)事おほかる(多かる)べし。

極楽寺殿御消息 北条重時

003:しゆつけをひばうとする事あるべからず。

一、しゆつけ(出家)をひばう(誹謗)とする事あるべからず。をろか(愚か)におもひ(思ひ)・[ひ]ばう(誹謗)せんは、ほとけ(佛)の御身より血をあや・[す](零す*流す)(に)あひにたり(相似たり)。又大乗ひばう(誹謗)のものは、ほとけ(佛)の冥りよ(冥慮)にそむく(背く)也。すなはち二世のそん(損)有(ある)べし。今生にては、きく(聞く)人に無道のものかなとおもて(面)を見られ、うしろにては、これをそしる(謗る)。後生にてはくろがね(黒金*鉄)のはし(箸)にてした(舌)をぬかれ(抜かれ)、くつふ(苦痛)たとへがたし(譬え難し)。またうかむ(浮かむ)事を得ず。たゞたつとみ(尊み)給ふべし。いかでか(如何でか)まよひ(迷ひ)のまへ(前)にはしる(知る)べき。しんるい(親類)又は子などなりともぶれい(無礼)なるべからず。一さい(一切)のしやもん(沙門)をば、よきあしき(善き悪しき)ところにいろはず(綺はず*関わらず)して、しやうしん(生身)のほとけ(佛)とおがみ申(拝み申す)こそ、善をこのむ(好む)人にては候はんずれ。能々(よくよく)しんがう(信仰)し給ふべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

002:ほうこうみやづかひをし給ふ事あらん時は、

一、ほうこう(奉公)みやづかひ(宮仕ひ)をし給ふ事あらん時は、百千人の人をばしり(知り)給ふべからず。君のことを大事の御事におもひ(思ひ)給ふべし。いのち(命)をはじめて、いかなるたから(宝)をもかぎり(限り)たまふ(給ふ)べからず。たとひ主人の心おほやう(大様*鷹揚、大まかで気が付かない)にして、おもひしりたまはず(思ひ知り給はず)とも、さだめて佛神の御かご(加護)あるべしとおもひたまふ(思ひ給ふ)べし。みはづかひ(宮仕ひ)とおもふ(思ふ)とも、是もおこない(行 *佛道修行)をすると心のうちに思べし。みやづかひ(宮仕ひ)のことはなくして、しう(主)のおん(恩)をかふむらん(被らん)などゝおもふ(思ふ)事は、舟もなくしてなん(難)海をわたらん(渡らん)とするにこと(異)ならず。

極楽寺殿御消息 北条重時

2008年5月13日火曜日

001:佛神を朝夕あがめ申、

一、佛神を朝夕あがめ申(まうし)、こゝろにかけたてまつるべし。神は人のうやまうによりて威をまし、人は神のめぐみによりて運命をたもつ。しかれば佛神の御まへ(前)にまいりては、今生の能(のう)には、正直の心をたまわらんと申(まうす)べし。そのゆへは、今生にては人にもち(用)ゐられ、後生にては必(かならず)西方浄土へまいり給ふべきなり。かたがたもつてめでたくもよき事也。此(この)むねを能々(よくよく)あきらめ給ふべく候なり。

極楽寺殿御消息 北条重時

意訳:ホトケ様・神様を朝に夕に礼拝して、心から離さぬようにすることだ。神様は人が敬うことでその威力を増し、人は神様の恵みよって運命を保つ。だからホトケ様・神様の前では、この人生において自分が正直の心を賜れますようにと祈念せよ。なぜかといえば、正直の心を持っていれば、現世では人から重用され、来世は必ず西方浄土(極楽)に往生できるからだ。どちらにしたって、めでたい善い事じゃないか。この旨よくよく理解しておくことだね。

000:抑、

抑(そもそも)、申(まうす)につけても、おこがましき事にて候へ共、親となり、子となるは、先世のちぎりまことにあさからず。さても世のはかなき事、夢のうちの夢のごとし。昨日見し人けふ(今日)はなく、けふ有(ある)人もあすはいかがとあやうく、いづるいき(出る息)入いき(入る息)をまたず。あしたの日はくるゝ(暮る)山のは(端)をこえ(越え)、夕べの月はけさのかぎりとなり、さく花はさそふ嵐を待ぬるふぜい、あだなるたぐひのがれざる事は、人間にかぎらず。さればおひたる(老たる)親をさきにたて、若き子のとゞまるこそさだまれる事なれども、老少不定のならひ、誠におもへばわかきとてもたのまれぬうき世のしぎ(仕儀)なり。いかでか人にしのばれ給ふべき心をたしなみ給はざらん。か様(よう)の事をむかひたてまつりて申さんは、さのみおりふしもなきやうにおぼゆるほどに、かたのごとく書しるしてたてまつる也。つれ/"\なぐさみに能々(よくよく)御らん(御覧)ずべし。をの/\よりほかにもらしたまふべからず。このたび生死をはなれずば、多生くわうこう(広劫)をふる(経る)ともあひがたき(会い難き)事なれば、たま/\むまれあひたてまつる時の世の忍おもひでにもとて申(まうす)也。先心にも思ひ、身にもふるまひたまふべき条々の事。

極楽寺殿御消息 北条重時

意訳:こんなもの書くこと自体、端から馬鹿らしいっちゃ馬鹿らしいんだが、お前たちと親子となったのも前世の因縁が深いからだろう。世界は夢のようにはかない。昨日会った人が今日は死んでもういない、今日生きている人も明日の命は知れたものではない。この息を吸って吐いてのその先さえあてにならないのがこの世界というものだ。朝、太陽が昇ったと思ったら、あっという間に西方の山に沈んでしまう。夕方に昇った月も暁には隠れてしまう。きれいに咲く花も、まるで嵐に襲われて散るのを待っているみたいだ。無常から逃れられないのは人間界に限らない。老いた親が先に死に、若い子供が残るのは普通だが、そうは運ばないのもよくあることで(老少不定)、若いからと言っていつ死ぬるか分からないのがこの世界のほんとうだ。だから、死んで後も長く人に惜しまれるような立派な心を身につけないといけないよ。こんなこと面と向って話す機会もないだろうから、文にした。折にふれて読んでみるがいいぜ。他の者には見せなくていいからな。人身を得た今世で解脱できるならともかく、これからいろいろな世界に生まれ変わる間に、またお前たちと出会うことはきっと難しいだろう。たまたまこの時、親子として出会えたことを偲ぶ思い出に、言っておきたいのだ。まずは心に留めて、実行もしてほしいことを箇条書きに。