2008年12月3日水曜日

099:返々はづかしくおもひたてまつれども、

 返々はづかしくおもひたてまつれども、いのちはさだまりてかぎりある事なれば、いつをそれともしりがたし。そのうへ時にのぞみてのありさま、有いは物をいはずして、はかなくなる人もあり。又弓矢によりて此世をそむくたぐひもあり。露の命の生死無常の風にしたがふならひ、其子ばかりはかげろふのあるかなきかのふぜい也。心におもひいだすをはゞからず申也。これをもちゐたらん程に、あしき事にて候はゞ、わろき事を親ののたまひけるよと、其時おもひ給ふべし。是を持ゐたらんを、けうやうの至極と思ひたてまつるべし。たとい、もちゐ給ふ事なくとも、是をすへの世までの子共につたへ給ふべし。いでこん人のうちに、もし百人が中に(一人)にても、これをもちゐ給候人ありて、さてはむかしの人のつたへ給ひけるかと、おもひ給人やおはしますとて申也。人の親は子にあひぬれば、をこがましき事のあると申候。是やらんとおぼゆると、おもひたまはんずれども、心静に二三人もよりあひ御らんずべし。たゞし、かやうに申事は、わがおやの我をけうくんするばかりと思ひ給ふべからず。すへの世の人をけうくんすると心え給ふべし。返々おかしくつゝましき事なれば、他人にもらし給ふべからず。

  いにしへの人のかたみと是を見て一こゑ南無と唱給へよ

 御教訓の御状かくのごとし。

極楽寺殿御消息 北条重時 

参考文献
『家訓集東洋文庫687 山本眞功 平凡社 2001年
『武家家訓・遺訓集成』 小澤富夫 ぺりかん社 1998年
『中世武家家訓の研究』 筧泰彦 風間書房 1967年

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