2008年7月14日月曜日

062:堂塔をたて、

一、堂塔をたて、おや(親)、おうぢ(祖父)の仏事をしたまはん時、一紙半銭の事にても、ひとのわづらい(煩)を申させ給ふべからず。千貫二千貫にてもし給へ、一紙半銭も人のわづらひ(煩)に候はゞ、善根みなほむら(炎)となり、人をとぶらはゞ、いよ/\地獄におち、又我が逆修(ぎゃくじゅ *生前に予め自分の冥福を願って法要を行うこと)などにも、今生より苦あるべし。たゞ我がいぶん(涯分 *身の程)にしたがはん程の事を、善根をばし給ふべし。よのつね(世の常)のことにもすこしもたがふ(違ふ)ひが事(僻事)は、佛神にくみ給ふ事也。まして、さやうの佛法の事にひが事(僻事)は口惜(くちおしき)事なり。ゆ(湯)をわかして水に入たるがごとし( *アベコベをやっているようなものだ)。たとひ兄弟となどが、我はおや(親)の仏事をするに、せずともわづらはじやなどおもはるゝやうにきゝ(聞き)、しれ(痴れ)事(痴れ)うらみごと(恨み事)申べからず。きげん(機嫌)よきところに、あはれ/\うたてしきかな、過分までこそなくとも、かたのごとく心ざしし給へかしと、おり/\(折々)けうくん(教訓)申て、我は身をすてゝ(捨てて)すべし。されば人もげにもとおもふなり。ふるきことばにも、善人の敵とはなるとも、悪人をともとする事なかれと申事これ也。ちやう者のまんとうよりもひん者の一とう(「長者の万燈よりも貧者の一燈」)と申事をしるべし。

極楽寺殿御消息 北条重時

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